コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『英領インド マドラス管区 20キャッシュ銅貨』です。
発行国 | 英領インド(インド) |
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材質 | カッパー |
品位 | ? |
発行年 | 1803年 |
発行枚数 | ? |
鑑定会社 | 未鑑定 |
グレード | FR~AG相当 |
サイズ |
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このコインは、表面にはイギリス東インド会社の紋章が描かれ、その周囲に「東インド会社」と年号の1803年が刻まれています。裏面には上部にアラビア語で額面(20キャッシュが4ファルスに相当する)、下部には「XX Cash(20キャッシュ)」と刻まれています。
イギリス領インド (東インド会社統治時代)の国章 - Wikipedia
マドラス管区とは、イギリス領インド帝国の管区の一つで、インド南東部に位置しています。おおよそ下記地図の赤丸内ピンク色の箇所が該当します。
マドラス管区は、イギリス東インド会社が1639年にマドラスパトナム村を購入し、その1年後にフォート・セント・ジョージ庁を設立したのが始まりとなります。1785年に、インド統治法の一つであるピットのインド法に基づき、マドラス、ボンベイ、ベンガルの3つの管区が設立されました。
管区の首長は「総督」と呼ばれ、このコインが発行された1803年にマドラス管区総督を務めたのは初代パウイス伯爵のエドワード・クライブ(8月30日まで)とウィリアム・ベンティンク卿の二人でした。
Edward Clive, 1st Earl of Powis , Lord William Bentinck - Wikipedia
コインの発行年から4年前の1799年に、イギリスの南インド支配を決定的にすることとなった「第4次マイソール戦争」が起こりましたので、今回はそちらを解説します。
フランスとイギリスは、1793年に始まったフランス革命戦争により対立関係にあり、インドにおいても両国は対立関係にありました。1797年に、マイソール国王ティプー・スルターンは、その対立関係を利用しようと密かにフランスに援軍を要請しました。しかし、これがイギリスの知るところとなり、またティプー・スルターンはイギリスからのフランス人軍事顧問の追放要求を撥ねつけるといったこともあったため、イギリスはティプー・スルターンの打倒を決断しマイソール王国との戦争が開始されまりました。
1799年2月3日、53,000名のイギリスとニザーム(ハイデラバード)の連合軍がマドラスから、また6,420名のイギリス軍がボンベイからマイソール王国に侵攻を開始しました。これに対しティプー・スルターンはシーダシール、マラヴァリで迎え撃ちましたが、いずれも大きな損害を受けて撤退しました。
同年4月5日、イギリス・ニザーム連合軍は’マイソール王国の首都シュリーランガパトナに到達、1か月に及ぶを包囲戦ののち5月4日に総攻撃を開始しました。
シュリーランガパトナへ突入するイギリス軍 - Wikipedia
この激戦によって、ティプー・スルターンは壮絶な戦死を遂げました。彼が率いた軍勢は忠実で統制が取れており、彼が死ぬまで共に戦い続けたと言われています。
この敗戦により、マイソール王国の領土は大幅に縮小され、また藩王国としてマドラス管区の管轄下におかれることとなりました。
第四次マイソール戦争による領土の変遷 - Wikipedia
このコインの’鑑定枚数は、PCGSでは5枚ありTop PopはMS65BNとなります。NGCでは24枚あり、Top PopはPF65BNとなります。マドラス管区のコインの中ではレアという訳ではなので、MSクラスのコインでなければ希少性はさほど無いと思います。私が所有しているコインは状態が悪いので、いずれ良いものに置き換えたいと思っています。
今回の旅は、ここまでにしたいと思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました🙇♂️
探求の旅は、まだまだ続きます🐪🌙