コイン探求の旅 #129 『スウェーデン=ノルウェー連合王国 2クローナ銀貨 オスカル2世在位25周年記念』

 コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『スウェーデンノルウェー連合王国 2クローナ銀貨 オスカル2世在位25周年記念』です。

発行国

 スウェーデンノルウェー連合王国

スウェーデンノルウェー

材質  シルバー
品位  0.800
発行年  1897年
発行枚数  246,100
鑑定会社  未鑑定
グレード  XF~AU相当
サイズ

 このコインは、表面には中央にセラフィム騎士団の鎖を帯びた王衣をまとい王笏を手にし、戴冠したオスカル2世の肖像と、王冠のオーブが描かれ、その右下にエングレイバーのイニシャル「A·L·」と、周囲にスウェーデン語で「スウェーデンノルウェーの国王オスカル2世」と刻まれています。裏面には中央に王冠を戴いた国章とそれを支える2頭のライオンが描かれ、その下にスウェーデン語で額面の「2クローナ」、周囲に[政権発足25周年記念 1872 - 1897」と刻まれています。

 このコインの両面のデザインは、アドルフ・リンドバーグが手掛けています。このコインの他にも、以下のようなコインのデザインを手掛けています。

https://en.numista.com/catalogue/artist.php?id=402

 このコインは、スウェーデンノルウェー連合王国の第5代国王オスカル2世の治世において発行されたコインで、オスカル2世の在位25周年を記念して発行されたコインです。オスカル2世については、#127で解説しましたので、今回は割愛します。

rangalhu-coin.hatenablog.jp

 記念式典についての情報は見当たりませんでしたが、YouTubeに記念式典のものと思われる動画がアップされていましたので、リンクを貼っておきます。気になった方は以下をご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=_thX_N9fkFY

 

 このコインの鑑定枚数は、PCGSでは153枚あり、Top PopはMS67、MS63PLとなります。NGCは1枚あり、PF63となります。NGCが少なすぎるような気がしますが、よく分かりませんでした。プルーフの枚数は不明ですが、非常に希少ではないかと思います。

 

 今回の旅は、ここまでにしたいと思います。

 最後までご覧いただき、ありがとうございました🙇‍♂️

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コイン探求の旅 #128 『スウェーデン=ノルウェー連合王国 錫製記念メダル 農業と手工業の展示会』

 コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『スウェーデンノルウェー連合王国 錫製記念メダル 農業と手工業の展示会』です。

発行国

 スウェーデンノルウェー連合王国

スウェーデンノルウェー

材質  錫
品位  ?
発行年  1883年
発行枚数  ?
鑑定会社  未鑑定
グレード  XF~AU相当
サイズ

 このコインは、表面には中央にオスカル2世の肖像が描かれ、その周囲にスウェーデン語で「スウェーデンノルウェーの国王オスカル2世」と刻まれています。裏面には左手にエレブルーの紋章を持ち、右手で農機具を操る女性が描かれ、その下にエングレイバーの名前「E. H. エクヴァル」、周囲にスウェーデン語で「1883年オレブロの農業と家庭工芸の展示会」と刻まれています。

 このコインの両面のデザインは、E. H. エクヴァルが手掛けています。E. H. エクヴァルに関する詳細な情報が無いのですが、他にも以下のメダルのデザインを手掛けていたようです。

https://en.numista.com/136663

 このコインは、スウェーデンノルウェー連合王国の第5代国王オスカル2世の治世において発行されたコインです。オスカル2世については、前回#127で解説しましたので、そちらを参照してください。

rangalhu-coin.hatenablog.jp

 農業と手工業の展示会について書きたかったのですが、残念ながら情報が見当たりませんでしたので、今回は詳細の記述は割愛します。ちなみに、農業と手工業の展示会は1911年にもエレブルーで開催されたことは確認できています。

 今回は、エレブルーについて簡単に書いておきます。

 エレブルーは、スウェーデンで7番目に大きな都市です。市街地の人口は約12万6千人で、国内最大級の内陸拠点であり、主要な物流・商業拠点となっています。

エレブルーの地図 - Wikipedia

 中世において、エレブルーは商業に格好の立地で、13世紀頃にはスカンジナビア半島の商業の中心地となっていました。市の中心には町を南北に分ける川が流れ、町の中心となる場所にスヴァルタン島が浮かんでいました。その島に壮大なエレブルー城が建設されたのは1560年代、グスタフ1世の治世でした。

エレブルー城 – skyticket 観光ガイド

 エレブルーの歴史における注目すべき出来事としては、1810年にエレブルーで開催された国民議会で、ジャン=バティスト・ベルナドット(後のカール14世ヨハン)がスウェーデンの皇太子に選出されたことが挙げられます。

カール14世ヨハン (スウェーデン王) - Wikipedia

 エレブルーは交易の町であったにもかかわらず、19世紀後半まで小規模な町でしたが、その後国内の靴製造産業の中心地として急速に発展しました。

1700年のエレブルー。中心には城が見える - Wikipedia

 

 このコインの鑑定枚数は、PCGS、NGCともに見当たりませんでした。このコインは、錫製ということもありコインとしての価値はさほど高くないかもしれませんが、デザインは素晴らしく、私的にはお気に入りの一枚となっています。もし他の年代で開催された農業と手工業の展示会のメダルが存在しているようでしたら、入手したいと思います。

 

 今回の旅は、ここまでにしたいと思います。

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コイン探求の旅 #127 『スウェーデン=ノルウェー連合王国 10オーレ銀貨 オスカル2世』

 コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『スウェーデンノルウェー連合王国 10オーレ銀貨 オスカル2世』です。

発行国

 スウェーデンノルウェー連合王国

スウェーデンノルウェー

材質  シルバー
品位  0.4
発行年  1898年
発行枚数  2,000,000
鑑定会社  未鑑定
グレード  F~XF相当
サイズ

 このコインは、表面には中央に戴冠したオスカル2世のモノグラムが描かれ、その周囲にノルウェー語で「兄弟諸君の幸福」と刻まれています。裏面には中央に王冠を頂いた楯の内側に斧を持つライオンが描かれ、その上部に額面の「10オーレ」、左右に発行年「1898」が刻まれています。

 このコインは、スウェーデンノルウェー連合王国の第5代国王オスカル2世の治世において発行されたコインです。オスカル2世の在位期間は、1872年9月18日~1907年12月8日のおよそ35年間でした。

オスカル2世 (スウェーデン王) - Wikipedia

 オスカル2世は、#125で解説したカール15世の弟です。

rangalhu-coin.hatenablog.jp

 オスカル・フレドリク(後のオスカル2世)は、1829年1月21日にカール15世の息子で皇太子のオスカルとロイヒテンベルク公ヨゼフィーネの三男として生まれました。彼のスウェーデン王位継承順位は、父と兄に次ぐ4位でしたが、末子であったため王位を継承できる見込みはありませんでした。幼少期は、王室家庭教師のクリスティーナ・ウルリカ・タウベ伯爵夫人の保護下に置かれました。

1829年にマウリッツ・フルメリーが制作したメダル。オスカル皇太子の3人の長男、カール、グスタフ、オスカルが描かれている。- Wikipedia

 オスカル王子は、11歳でスウェーデン王立海軍に士官候補生として入隊し、1845年7月に少尉に任命されました。その後ウプサラ大学で学び、数学で優秀な成績を収めました。1848年12月13日にはスウェーデン王立科学アカデミーの名誉会員となりました。オスカル王子は、1857年6月6日にゾフィア・フォン・ナッサウと結婚し、グスタフ(後のグスタフ5世)、オスカル、カール、エウシェンの4人の息子をもうけました。彼女については、別の機会に詳しく書きます。

ゾフィア・フォン・ナッサウ - Wikipedia

 1872年に父カール15世が亡くなると、オスカル王子はスウェーデンノルウェーの王位継承者となりました。カール15世の長男セーデルマンランド公爵カール・オスカル王子は1854年に肺炎で亡くなり、次男のウップランド公爵グスタフ王子は1852年に腸チフスで亡くなっていたため、正当な後継者がいませんでした。即位に際して、彼は「兄弟諸君の幸福」をモットーとしました。スウェーデン国王としての戴冠式1873年5月12日に、またノルウェー国王としての戴冠式は2ヶ月後の1873年7月18日に執り行われました。国王とその家族は主にスウェーデンに居住していましたが、オスカル2世はノルウェーとの同盟維持における本質的な困難を就任当初から認識しており、ノルウェー語を流暢に話せるよう努力しました。

 スウェーデン首相の職は、1876年に創設されました。ルイ・ゲルハルト・デ・ギアは、初代のスウェーデン首相に任命されました。オスカル2世の治世下で最も有名で有力な大臣は、保守的な地主エリク・グスタフ・ボストロムでした。ボストロムは1891年から1900年、そして1902年から1905年に首相を務めました。オスカル2世は、首相の人選には非常に苦労しましたが、ボストロムからは信頼と尊敬を得ていました。オスカル2世は後にボストロムに対して国王の関与をほとんど受けずに大臣を自由に選任する権限を与えました。これは、スウェーデンが議会制への道を進むきっかけとなった取り決めでした。

エリク・グスタフ・ボストロム - Wikipedia

 オスカル2世は、著名な作家であり、音楽愛好家でもありました。彼は、領土全体の教育の発展に多大な貢献をしました。1858年、匿名で出版された叙情詩集『スウェーデン艦隊の記念碑』は、スウェーデン・アカデミー二等賞を受賞しました。1881年には、オスロ近郊の夏の離宮クリスチャニア)に隣接するビグドイに、世界初の野外博物館を設立しました。1885年には『音楽アカデミーへの演説』を出版し、音楽に関するエッセイの翻訳が1900年5月の『文学』誌に掲載されました。

1885年にオスカー2世の野外博物館に再建されたゴル・スターヴ教会 - Wikipedia

 オスカル2世は、北極探検の熱心な愛好家でした。スウェーデンの富豪オスカル・ディクソンやロシアの有力者アレクサンドル・ミハイロヴィチ・シビリャコフと共に、1800年代には数々の先駆的な北極探検を後援しました。オスカル2世が後援したもっとも有名な北極探検は、アドルフ・エリク・ノルデンショルドによるロシア北極圏とグリーンランドの探検、そしてフリチョフ・ナンセンによるフラム号による極地探検です。

北極海に向けてベルゲンを出るフラム号(1893年7月2日)(左)、ナンセンの遠征隊が通った経路(右) - Wikipedia

 1890年代になると、外交や内政でノルウェースウェーデン間の対立が顕著になりました。ノルウェーは世界第3位の海運国になるなど自立が更に進み、自国の領事館の設置を巡り両議会が対立しました。オスカル2世は、ノルウェー議会の方針には反対の意を唱え、スウェーデン議会は国王の支持を取りつけて、領事館設置の法案を拒否しました。この時はノルウェー側が譲歩しましたが、1905年に両議会の交渉が決裂、ノルウェー議会は連合の解消を宣言しました。スウェーデン政府はこの決定に反発し、軍を総動員して戦争の危機にまで至りましたが、ノルウェーの独立が必至であることを理解したオスカル2世は、スウェーデン議会と国民を説得し、困難な交渉の末にノルウェーの分離独立が合意に至りました。新たなノルウェー国王には、デンマーク王フレゼリク8世の次男でオスカルの兄カール15世の外孫のホーコン7世(オスカル2世にとっては大甥に当たる)が迎えられました。

ホーコン7世 - Wikipedia

 オスカル2世は1907年12月8日午前9時10分、ストックホルムにおいて78歳で亡くなりました。スウェーデン王国の王位は、オスカル2世の長男グスタフ5世が継ぎました。

グスタフ5世 (スウェーデン王) - Wikipedia

 

 このコインの鑑定枚数(1898年発行)は、PCGSでは3枚あり、Top PopはMS65となります。NGCでは9枚あり、Top PopはMS65となります。このコインは、どの電台も発行枚数が非常に多いのですが、1888年発行が50万枚と最も少ないので、MSクラスのコインであれば希少ではないかと思われます。

 

 今回の旅は、ここまでにしたいと思います。

 最後までご覧いただき、ありがとうございました🙇‍♂️

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コイン探求の旅 #126 『スウェーデン=ノルウェー連合王国 10オーレ銀貨 カール15世』

 コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『スウェーデンノルウェー連合王国 10オーレ銀貨 カール15世』です。

発行国

 スウェーデンノルウェー連合王国

スウェーデンノルウェー

材質  シルバー
品位  0.75
発行年  1871年
発行枚数  1,162,460
鑑定会社  未鑑定
グレード  F~XF相当
サイズ

 このコインは、表面には中央にカール15世の肖像が描かれ、その周囲にスウェーデン語で「カール15世 スウェーデンノルウェー、ゴート族、ウェンド族の王」と刻まれ、肖像の下にはエングレイバーのイニシャル「L.A.」と刻まれています。裏面には周囲に月桂冠が描かれ、中央に額面の「10オーレ」、造幣局長のイニシャル「S.T.(セバスチャン・タム)」、発行年の「1871」が刻まれています。

 このコインの両面のデザインは、リア・アールボーンが手掛けています。このコインの他にも、以下のようなコインのデザインを手掛けています。

 このコインは、スウェーデンノルウェー連合王国の第4代国王カール15世の治世において発行されたコインです。カール15世については前回#125で解説しましたので、今回は割愛します。

rangalhu-coin.hatenablog.jp

 

 このコインの鑑定枚数(1871年発行)は、PCGSでは4枚あり、Top PopはMS66となります。NGCは見当たりませんでした。このコインは、1862年発行のPLがごく少数存在しており、非常に希少であると思われます。

https://en.numista.com/37757

 

 今回の旅は、ここまでにしたいと思います。

 最後までご覧いただき、ありがとうございました🙇‍♂️

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コイン探求の旅 #125 『スウェーデン=ノルウェー連合王国 25オーレ銀貨 カール15世』

 コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『スウェーデンノルウェー連合王国 25オーレ銀貨 カール15世』です。

発行国

 スウェーデンノルウェー連合王国

スウェーデンノルウェー

材質  シルバー
品位  0.75
発行年  1871年
発行枚数  659,808
鑑定会社  未鑑定
グレード  XF~AU相当
サイズ

 このコインは、表面には中央にカール15世の肖像が描かれ、その周囲にスウェーデン語で「カール15世 スウェーデンノルウェー、ゴート族、ウェンド族の王」と刻まれ、肖像の下にはエングレイバーのイニシャル「L.A.」と刻まれています。裏面には周囲に月桂冠が描かれ、中央に額面の「25オーレ」、造幣局長のイニシャル「S.T.(セバスチャン・タム)」、発行年の「1871」が刻まれています。

 このコインの両面のデザインは、リア・アールボーンが手掛けています。このコインの他にも、以下のようなコインのデザインを手掛けています。

 このコインは、スウェーデンノルウェー連合王国の第4代国王カール15世の治世において発行されたコインです。カール15世の在位期間は、1859年7月8日~1872年9月18日のおよそ13年間でした。

カール15世 (スウェーデン王) - Wikipedia

 スウェーデンノルウェー連合王国は、1814年に成立した同君連合で、1905年に平和的に解散するまで続きました。両国はそれぞれ独自の憲法、法律、議会、行政、国教会、軍隊、通貨を有し、国王は主にストックホルムに居住し、外国公館もストックホルムにありました。ノルウェー政府は副王によって統治され、1829年まではスウェーデン人、1856年まではノルウェー人でした。副王は後に空席となり、1873年に廃止されました。外交政策は、1905年の連合解消までスウェーデン外務省を通じて行われました。

Union between Sweden and Norway - Wikipedia

 カール15世は、1826年にストックホルム宮殿でスウェーデン皇太子オスカルとその妻ジョゼフィーネ皇太子妃の長男として生まれました。彼は、祖父であるスウェーデン国王カール14世ヨハンの王位継承権第2位となりました。幼少期は、王室家庭教師のクリスティーナ・ウルリカ・タウベ伯爵夫人の保護下に置かれていました。

カール14世ヨハン (スウェーデン王) - Wikipedia

 老齢のカール14世は、1844年の81歳の誕生日に脳卒中を起こし、およそ1ヶ月後に亡くなりました。後継者はカールの父オスカルで、オスカル1世としてスウェーデン国王に即位しました。1844年に父が即位すると、カールは18歳でウプサラ大学とルンド大学の学長に任命され、1853年には27歳でスウェーデン王立芸術アカデミーの学長に就任しました。1846年2月11日には、スウェーデン王立科学アカデミーの名誉会員に選出されました。

 

ストックホルムにあるアカデミーの建物 - Wikipedia

 1850年6月19日、カールはオランダの王族フレデリック・ファン・オラニエ=ナッサウの娘ルイーゼ・ファン・オラニエ=ナッサウと結婚しました。二人の性格は全く異なり、ルイーゼは教養があり洗練された女性でしたが、カールは彼女の地味な容姿に失望していました。ルイーゼは夫を愛していましたが、カールは他の女性を好み、ルイーゼを深く悲しませました。カールの有名な愛人には、女優のローラ・ベルグネーア、伯爵夫人ジョゼフィーヌ・シュパーレ、ヴィルヘルミーネ・シュレーダー、女優のハンナ・スティレルエリーゼ・フヴァッサーなどがいました。

ルイーゼ・ファン・オラニエ=ナッサウ - Wikipedia

 カールは、1856年と1857年に短期間ノルウェーの総督を務め、1857年9月25日には摂政となり、1859年7月8日に父が崩御するとカール15世として国王に即位しました。皇太子時代のカールのぶっきらぼうな性格は、多くの人々に王としての資質を危惧させましたが、彼はスカンジナビア諸国の国王の中でも最も人気のある人物の一人であり、まさに正真正銘の立憲君主でした。彼の治世は、多岐にわたる広範な改革によって特筆すべきものがありました。スウェーデンの既存の内国法(1862年)、教会法(1863年)、刑法(1864年)は、「国は法によって築かれる」をモットーとする国王の指導の下、適切に制定されました。カール15世はまた、1866年にルイ・ゲルハルト・デ・ギアがスウェーデン議会改革を推し進めるのを支援しました。また、1858年には未婚女性の成人を法的に認める法律を可決し、女性の自由を宣言しました。妹のユージェニー王女は、成人と宣言された最初の女性となりました。

ルイ・ゲルハルト・デ・ギア - Wikipedia

 カール15世は、父と同様汎スカンディナヴィア主義を支持し、デンマーク王フレデリク7世とも親しかったため、デンマークプロイセンオーストリアの戦争(第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争)でデンマークへの援助を約束しましたが、スウェーデン軍の準備不足などの理由により中立に留まることを余儀なくされました。

第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争 - Wikipedia

 1868年11月11日、駐日オランダ人外交官ディルク・デ・グラーフ・ファン・ポルスブルックは、カール15世の代理としてスウェーデンノルウェー連合王国と日本の間で「友好通商航海条約」を締結しました。この条約により、箱館、横浜、長崎、神戸、大阪がスウェーデンノルウェー連合王国の貿易拠点として開放されました。また、新たに開かれた港に領事を派遣する機会も与えられ、領事にはスウェーデン人とノルウェー人に対する管轄権(領事管轄権)が与えられました。

「日本・スウェーデン=ノルウェー修好通商航海条約」 - 青羽古書店 AOBANE Antiquarian Bookshop - 洋書・美術書・学術書

 晩年のカール15世は病に苦しみ、1872年9月18日に腹部結核のため46歳で亡くなりました。王子は幼くして亡くなり跡継ぎとなる男子がいなかったため、王位は弟のオスカル2世が継承しました。

オスカル2世 (スウェーデン王) - Wikipedia

 

 このコインの鑑定枚数(1871年発行)は、PCGSでは1枚あり、MS64となります。NGCは見当たりませんでした。このコインは、初年度1862年発行のPLが1,740枚のみ発行されていますので、希少であると思われます。また、手替わりもいくつか存在し、中には非常に希少なコインもあるようです。

https://en.numista.com/37653

 

 今回の旅は、ここまでにしたいと思います。

 最後までご覧いただき、ありがとうございました🙇‍♂️

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コイン探求の旅 #124 『ネパール王国 1ルピー銀貨 トリブバン・ビール・ビクラム・シャハ』

 コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『ネパール王国 1ルピー銀貨 トリブバン・ビール・ビクラム・シャハ』です。

発行国  ネパール王国
材質  シルバー
品位  0.8
発行年  1948年
発行枚数  ?
鑑定会社  未鑑定
グレード  XF~AU相当
サイズ

 このコインは、表面には中央にトライデントが描かれ、その周囲にデーヴァナーガリー文字で「シュリ(敬称)・トリブバン・ビール・ビクラム・シャハ・デーブ」、四角の枠外上部に「シュリ・シュリ(敬称)」、四角の枠外下部にヴィクラマ暦で発行年である「2004」と刻まれています、裏面には中央に花輪で飾られた短剣が描かれ、その左上から右上にかけてデーヴァナーガリー文字で「シュリ・バヴァーニー(命の授け手と呼ばれる女神)」、その下に額面の「1ルピー」と「ネパール」、円の外周部分には「シュリ・シュリ・シュリ・ゴーラクナート(13世紀頃の北インドの聖者で、ハタ・ヨーガの創始者)」と刻まれています。

 このコインは、ネパール王国の第8代国王トリブバン・ビール・ビクラム・シャハの治世において発行されたコインです。トリブバン・ビール・ビクラム・シャハの在位期間は、1911年12月11日~1955年3月13日のおよそ43年間でした。

Tribhuvan of Nepal - Wikipedia

 トリブバンの父であり第7代国王であったプリトビ・ビール・ビクラム・シャハについては、前回#123で解説しましたので、そちらを参照して下さい。

rangalhu-coin.hatenablog.jp

 トリブバンは、ネパールの首都カトマンズで生まれました。父であり第7代国王のプリトビが1911年12月11日に36歳という若さで亡くなったため、わずか5歳で王位に就きました。、1913年2月20日カトマンズハヌマン・ドーカ宮殿で戴冠し、母が摂政を務めました。王とはいえ、父と同様ラナ家の傀儡に過ぎず、実権はラナ家が握っていました。

トリブバン5歳の戴冠式 - Wikipedia

 ラナ家の首相は、幼少のトリブバンに対して将来優れた王とならぬような教育を施しました。トリブバンは、首から足首に至るまで全身にタトゥーを入れており、右腕二頭筋には蛇、体にはシダ、花、孔雀の羽根の模様が描かれていました。彼は緑色を好み、装飾品、鍵、贈り物、衣服の多くには「T」の文字が刻まれていました。彼は、これらの品物を入手するためにカタログ通販で頻繁に注文していました。また彼は喫煙の習慣があり、ラッキーストライクを好んで吸っていました。トリブバンは、毎週木曜日にシンハ・ダルバール宮殿に召喚され、ラナ家の首相との面会のために何時間も待たされました。

 第一次世界大戦が勃発すると、王家とラナ家の緊張は一気に高まりました。ラナ家はイギリスを支持して参戦を望んでいましたが、王家はこれに難色を示して中立を保とうとしました。首相のチャンドラ・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナは、若い国王に圧力をかけ、また母を脅迫したため、最終的にトリブバンは参戦命令を出しました。1930年代半ばになると、ラナ家に対する民衆の不満は高まり、ラナ家を打倒しようとする運動が活発になりました。しかし、ラナ家はこれらを激しく弾圧し、指導者を処刑しました。

チャンドラ・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナ - Wikipedia

 1950年11月、トリブバンはインドに亡命する意思を表明し、息子のマヘンドラ、長男の孫ビレンドラを含む一家と共にインド大使館に避難しました。首相のモハン・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナは激怒し、1950年11月7日の緊急閣議においてトリブバンの4歳の孫であるギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャハをネパールの新国王に推戴しました。ギャネンドラを除くトリブバン一家は、11月10日にニューデリーへ向かい、インドの首相ジャワハルラール・ネルーをはじめとする高官らの正式な出迎えを受けました。トリブバンの退位はネパール国内で大規模なデモを引き起こし、首相はトリブバンおよびネパール会議派との交渉を余儀なくされました。1950年11月22日、インドの首相ネルーは、ギャネンドラをネパールの正当な国王として承認しないことを公式に発表しました。

ジャワハルラール・ネルー - Wikipedia

 首相のモハンは、事態が手に負えないこと悟ると、ネパールに残留していた国王の親族を和平交渉のためニューデリーに派遣しました。ニューデリーでは、トリブバン、ネパール会議派、ラナ政権の代表が一堂に会し、事態を協議しました。最終的に、トリブバンの指導の下、ネパール会議派とラナ派が対等な立場で構成する新たな内閣を樹立することで合意に達しました。トリブバンは、1951年2月18日に王族と国民会議派の指導者たちと共にネパールへ帰国しました。トリブバンは、正式にラナ一族による統治の終焉を宣言し、民主制を確立しました。

 トリブバンは、1955年3月9日午後3時にスイスのチューリッヒにある診療所において49歳で亡くなりました。遺体は3月16日午後7時15分に診療所からカトマンズへ搬送されました。王位は、長男のマヘンドラが継ぎました。

マヘンドラ・ビール・ビクラム・シャハ - Wikipedia

 カトマンズの国際空港であるトリブバン国際空港、ネパール最古の高速道路であるトリブバン・ハイウェイ、ネパールで2番目に古いサッカートーナメントであるトリブバン・チャレンジ・シールド、ダン渓谷の都市トリブバンナガル、そしてネパール最大の大学であるトリブバン大学は、彼の名にちなんで名付けられました。

トリブバン国際空港(左)トリブバンナガル(中)トリブバン大学(右) - Wikipedia

 

 このコインの鑑定枚数(1948年発行)は、PCGSでは45枚あり、Top popはMS66となります。NGCは見当たりませんでした。このコインは1932~1948年の間発行されており、枚数は不明ですが1946年発行のコインが最も少なく、希少であると思われます。

 

 今回の旅は、ここまでにしたいと思います。

 最後までご覧いただき、ありがとうございました🙇‍♂️

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コイン探求の旅 #123 『ネパール王国 1/2モハール銀貨 プリトビ・ビール・ビクラム・シャハ』

 コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『ネパール王国 1/2モハール銀貨 プリトビ・ビール・ビクラム・シャハ』です。

発行国  ネパール王国
材質  シルバー
品位  ?
発行年  1911年
発行枚数  ?
鑑定会社  未鑑定
グレード  XF~AU相当
サイズ

 このコインは、表面には中央の模様(何を表しているのか不明)の周囲にデーヴァナーガリー文字で「シュリ・シュリ(敬称)・プリトビ・ラジ(敬称?)」と刻まれています。裏面には中央に花輪で飾られた短剣が描かれ、デーヴァナーガリー文字で一段目に「シュリ・シュリ(敬称)」、2段目に「パシュパティ(シヴァ神の異名)」、3段目にサカ暦で発行年である「1833」と刻まれています、

 このコインは、ネパール王国の第7代国王プリトビ・ビール・ビクラム・シャハの治世において発行されたコインです。プリトビ・ビール・ビクラム・シャハの在位期間は、1881年~1911年のおよそ30年間でした。

プリトビ・ビール・ビクラム・シャハ - Wikipedia

 プリトビの祖父であり第6代国王であったスレンドラ・ヴィクラム・シャハについては、前回#122で解説しましたので、そちらを参照して下さい。

rangalhu-coin.hatenablog.jp

 プリトビは、祖父のスレンドラが亡くなったことに伴い、王位を継承しました。父でありスレンドラの息子であったトライローキャは、1878年3月30日にカトマンズハヌマン・ドーカ宮殿で30歳という若さで急死(当時実権を握っていたディール・シャムシェル・ラナにより暗殺されたという説があります)したため、わずか5歳で王位を継ぐことになりました。

トライローキャ・ビクラム・シャハ - Wikipedia

 プリトビは、先代の王と同様にナラヤンヒティ王宮で幽閉された状態で過ごしました。彼が幽閉されている間、最も近しい同盟者であり腹心であった兄弟たちは、クーデターが起こらないようパルパ、ビルガンジ、ダンクタ等のネパール各地の宮殿へと追放されました。しかし、追放後も彼らの国政への影響力は次第に高まり、クーデターの発生が懸念されるようになると、ディール・シャムシェル・ラナは失脚し、代わりにチャンドラ・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナが正式に首相の座に就きました。

チャンドラ・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナ - Wikipedia

 チャンドラの首相就任後、プリトビの一族に対する移動制限はより厳しくなり、特にカトマンズのナラヤンヒティ王宮でプリトヴィに謁見することに関しては、制限が厳しくなりました。

 プリトビの治世における最も注目すべき出来事としては、ネパールに初めて自動車が導入されたこと、そして国土の大部分に水道・衛生システムが整備されたことが挙げられます。

 プリトビは、1911年12月11日に36歳という若さで亡くなりました。彼の父トライローキャと同様、プリトヴィの死には不審な点が多く、暗殺された可能性があるようです。王位は、プリトヴィの息子であるトリブバン・ビール・ビクラム・シャハが継ぎました。

トリブバン・ビール・ビクラム・シャハ - Wikipedia

 

 このコインの鑑定枚数(1911年発行)は、PCGSでは見当たりませんでした。NGCはおそらく1枚あり、PF63となっています。1911年発行のコインは、枚数は不明ですがプルーフが少数存在しており、希少であると思われます。

 

 今回の旅は、ここまでにしたいと思います。

 最後までご覧いただき、ありがとうございました🙇‍♂️

 探求の旅は、まだまだ続きます🐪🌙