コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『オランダ領東インド 2½セント青銅貨』です。
発行国 | オランダ領東インド(インドネシア) |
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材質 | 青銅(95% カッパー、5% 亜鉛) |
品位 | ? |
発行年 | 1945年 |
発行枚数 | 200,000,000 |
鑑定会社 | NGC |
グレード | MS63RB |
サイズ |
このコインは、表面にはオランダの国章である剣を持った赤色の爪と舌を持つ金色のライオンとその上に王冠が描かれ、周囲にラテン語でオランダ領東インドと額面の2½セント、国章の左右に発行年の1945が刻まれています。裏面には円の外側にジャワ語で額面の1/40ルピア、円の内側にマレー語(アラビア文字)で同様に1/40ルピアが刻まれています。
オランダ領東インドについては、前回#28で解説していますので、そちらも併せて参照してください。
1942年の時点では、以下の青い箇所がオランダ領東インドとなりますが、第2次世界大戦勃発に伴い1942年2月に日本軍が侵攻、オランダ領東インドの植民地軍はなすすべもなく降伏するかオーストラリアに逃亡しました。これにより、350年もの長きにわたって続いたオランダによる植民地支配は終わりを告げました。
当初日本軍は、オランダによって行われていたインドネシア人差別や弾圧を無くし、民族主義運動の活動家であったスカルノやモハマッド・ハッタと協力体制を取り、インドネシア人を軍政府の高官に取り立て、「インドネシア」という呼称を公の場で使用することを許可するなど、インドネシア人を優遇する様々な政策を採ったため、現地住民からは欧州列強からの解放軍として大いに歓迎されました。
スカルノ(左)、モハマッド・ハッタ(右) - Wikipedia
しかし、インドネシアの民族旗や民族歌「インドネシア・ラヤ」は禁止され、結社や集会、政治に関する言論、行動の禁止が布告されました。また、厳しい日本式の軍政や皇民化が施され、7万人が死亡したとされているロームシャと呼ばれる重労働を課せられた者もあり、インドネシア人の対日感情は徐々に悪化していきました。
このコインが発行された1945年、8月15日に日本は連合国に無条件降伏しました。その2日後の8月17日に、スカルノとモハマッド・ハッタはインドネシアの独立を宣言しましたが、オランダは独立を認めず東インドの再植民地化を目論み軍を派遣しました。これに対して、インドネシア国軍、郷土防衛義勇軍、インドネシアに残留した元日本兵が協力し、オランダの支配に対して徹底抗戦しました。
このインドネシア独立戦争は、およそ4年に渡り続きました。オランダは、第2次世界大戦の影響で本土が荒廃したため、その復興のためインドネシアの石油や農作物による利益を当てにしていたこともあり、なんとしても植民地化を図りたい考えでした。しかし、オランダには長期間に渡って戦争を続けるだけの国力は無く、1949年12月27日に開催されたオランダ・インドネシア円卓会議においてインドネシア連邦共和国の独立が正式に承認されました。
スカルノはインドネシア初代大統領に就任、モハマッド・ハッタは副大統領となりました。後にスカルノは、日本ですっかり有名人となったデヴィ夫人を娶ったことは、誰もが知っていることではないかと思います。
天皇誕生日の祝賀パーティーに出席するインドネシアのス…:デヴィ夫人 写真特集:時事ドットコム
このコインの鑑定枚数(RBのみ)は、PCGSでは7枚ありTop PopはMS65となります。NGCには該当する記載が見当たらず・・・記載漏れか、更新が追い付いていないんでしょうかね?それにしても、NGCのページは探しずらいですね(^^; このコインは、鑑定済みでなくとも状態の良いコインが大量に残っているようで、フリマサイトで簡単に見つけることができると思います。発行枚数も非常に多いので、高鑑定のコインでない限り希少性はほとんど無いと思います。
今回の旅は、ここまでにしたいと思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました🙇♂️
探求の旅は、まだまだ続きます🐪🌙