コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『リトアニア共和国 5リタイ銀貨』です。
発行国 | リトアニア共和国 |
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材質 | シルバー |
品位 | 0.75 |
発行年 | 1936年 |
発行枚数 | 2,612,000 |
鑑定会社 | 未鑑定 |
グレード |
F~XF相当 |
サイズ |
このコインは、表面にはリトアニアの国章である右手で剣を振り上げた騎士が中央に描かれ、その下にラテン語でリトアニア、発行年の西暦1936年が刻まれています。裏面には、ヨナス・バサナヴィチウスの肖像が描かれ、周囲にラテン語でヨナス・バサナヴィチウス、額面の5リタイと刻まれています。
ヨナス・バサナヴィチウスは、リトアニア民族復興の活動家で「国家総主教」という敬称で呼ばれる人物です。
Jonas Basanavičius - Wikipedia
バサナヴィチウスは、1880年から1905年までブルガリア公国で医師として働いていましたが、遠方からリトアニアの文化活動に尽力しました。1883年に初のリトアニア語新聞「アウシュラ」を創刊し、リトアニアに関する記事を新聞社に寄稿しました。また、リトアニアの歌、おとぎ話、伝説、なぞなぞ等のサンプルを集めて出版しました。
バサナヴィチウスは、1905年にリトアニアに戻り、1907年にリトアニアの歴史、民族学、言語学を専門とする学術団体「リトアニア科学協会」を設立して会長に就任し、残りの人生を同学会の活動に捧げました。
Lithuanian Scientific Society - Wikipedia
バサナヴィチウスは、1917年にヴィリニュス会議によってリトアニア評議会に選出されました。1918年2月16日にリトアニア独立法を採択した評議会では議長を務め、同法に最初に署名しました。第一次世界大戦後、ヴィリニュスは幾度も政権交代を繰り返しましたが、バサナヴィチウスは退去することを拒み、街の博物館、図書館、公文書館を守り、リトアニアの文化問題について生涯研究を続けました。
ヴィリニュスは、1920年のポーランドによる偽旗作戦でリトアニアから切り離され、やがてポーランドに併合されることになりますが、バサナヴィチウスはこの街を離れることはなく、それが激しく争われたヴィリニュス地方に対するリトアニアの主張の象徴となりました。
バサナヴィチウスは、1927年2月16日にヴィリニュスで亡くなりました。リトアニア政府は5日間の喪に服すことを宣言しました。
Tomb of Jonas Basanavičius in Vilnius - Wikipedia
このコインの鑑定枚数は、PCGSでは302枚あり、Top PopはMS65となります。NGCでは262枚あり、AU DetailsまたはUNC Detailsのみとなります。このコインは発行枚数が多く、フリマサイトで比較的簡単に見つけることができますので、MSクラスの状態が良い物でない限り希少性はさほどないと思います。
今回の旅は、ここまでにしたいと思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました🙇♂️
探求の旅は、まだまだ続きます🐪🌙