コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『バハーワルプル藩王国 1パイサ銅貨』です。
発行国 | バハーワルプル藩王国(インド) |
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材質 | カッパー |
品位 | ? |
発行年 | 1924~1925年 |
発行枚数 | ? |
鑑定会社 | 未鑑定 |
グレード |
VF~XF相当 |
サイズ |
藩王国については、以下にまとめましたので参照して下さい。
このコインは、表面にはアラビア文字でサディク・ムハンマド・ハーン5世の署名が刻まれています。裏面には4つの星と3本の小枝が描かれ、おそらくウルドゥー語でバハーワルプルで鋳造された、といった内容が刻まれているものと思われます。
バハーワルプル藩王国はインド西部に位置しています。
Bahawalpur (princely state) - Wikipedia
このコインは、バハーワルプル藩王国のサディク・ムハンマド・ハーン5世の治世において発行されたコインです。サディク・ムハンマド・ハーン5世の在位期間は、1907~1955年の48年間でした。
Sadeq Mohammad Khan V - Wikipedia
彼は、父親であり先代の王であったムハンマド・バハーワル・ハーン5世が1907年に病死したためその跡を継ぎましたが、その時わずか2歳半でした。当然ながら自ら政務を行うことはできないため、イギリス政府は彼が成人するまでの間、マウルヴィー・サー・ラヒム・バクシュの監督の下で国家を運営する摂政評議会を設立しました。サディク・ムハンマド・ハーン5世の教育と育成には特別な注意が払われ、ラホールの大学で教育を受け、イギリスで修了しました。彼は軍事において適性があり、イギリスからナイトの称号を授けられました。1924年3月8日に、インド総督レディング卿は彼に国政の全権を移譲しました。
サディク・ムハンマド・ハーン5世は、1932年に少佐、1941年に中佐となり、第二次世界大戦中は中東の部隊を指揮しました。1933年からは王侯会議所のメンバー、1940年からはインド国防評議会のメンバーとなりました。1946年に少将に昇進しました。
1947年のイギリス領インド帝国の解体およびインド・パキスタン分離独立の際、サディク・ムハンマド・ハーン5世はパキスタンへの帰属を選択しました。バハーワルプルにはイスラム教徒が多く、また彼はパキスタン初代大統領のムハンマド・アリー・ジンナーとはお互いに尊敬の念を抱くほど親しかったことがその理由となりました。
パキスタン帰属後のサディク・ムハンマド・ハーン5世は、1953年にパキスタンを代表してイラクのファイサル2世の就任式に出席し、パキスタン女王でもあるエリザベス2世の戴冠式にも出席したという記録が残っています。
サディク・ムハンマド・ハーン5世は、1966年5月にロンドンで亡くなりました。彼の遺体はバハーワルプルに移され、デラワール砦にある一族の先祖代々の墓地に埋葬されました。
チョリスタン砂漠とデラワール砦|パキスタンみどころ(観光)MAP|西遊旅行
このコインの鑑定枚数(Y-8)は、PCGSでは1枚のみでMSBN64となります。NGCでは6枚あり、Top PopはMS63RBとなります。スラブ入りではなくても私が所有しているような比較的状態が良いコインは容易に手に入ると思いますので、MSクラスのコインでない限り希少性はほとんど無いと思います。
今回の旅は、ここまでにしたいと思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました🙇♂️
探求の旅は、まだまだ続きます🐪🌙