コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『ウルグアイ 50センテシモ銀貨』です。
発行国 | ウルグアイ |
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材質 | シルバー |
品位 | 0.9 |
発行年 | 1917年 |
発行枚数 | 5,600,000 |
鑑定会社 | 未鑑定 |
グレード | VF toned相当 |
サイズ |
今回は、#3~#5と同年代に発行されたコインを選びました。
このコインは、表面に「ウルグアイ建国の父」と呼ばれるホセ・ヘルバシオ・アルティガスの肖像が描かれています。アルティガスは、このコインが発行された1917年にはすでに没しています(没年は1850年)。おそらく、アルティガスについて書く機会は今回以外無さそうなので、ここでは彼について書いていきます。
José Gervasio Artigas - Wikipedia
現在のウルグアイ周辺地域は、1600年代以降主にスペインとポルトガルの係争地となっていましたが、1777年にスペイン・ポルトガル間で締結されたサン・イルデフォンソ条約により、正式にスペインが領有していました。
1811年、ブエノスアイレスで独立運動が始まり、それと呼応する形でパンダ・オリエンタル(ウルグアイ川東岸地域を指します)のアルティガスが蜂起しました。一時は協力体制にあったブエノスアイレスとモンテビデオの独立運動ですが、方針の違いなどからやがて対立することとなりました。一時はブエノスアイレス軍によりモンテビデオは攻略されましたが、アルティガスは東方州を拠点としてコルドバ州、サンタフェ州、エントレ・リオス州、コリエンテス州と共に連邦同盟を創設(下図の赤い箇所)し、1815年1月にはモンテビデオの奪還に成功、6月29日にスペインからの独立を宣言しました。
1816年8月になると、ポルトガル=ブラジル連合王国軍がブラジル方面から侵攻を開始したため前後に敵を作る形となり、一気に苦境に立たされました。1820年まで両軍に対してゲリラ戦を続けますが、ポルトガル軍のレコール将軍によりモンテビデオは攻略され、アルティガスは隣国パラグアイに亡命、領土はポルトガル=ブラジル連合王国に吸収されました。ウルグアイ東方共和国として正式に独立を果たすのは、それからおよそ12年後の1828年8月になります。
アルティガスは1850年9月23日、30年間の亡命生活の末にパラグアイで亡くなりました。アルティガスは自らの死期が近いことを悟ると、馬を求めガウチョとして鞍上で亡くなったと言われています。アルティガスの遺骨は、1977年6月19日にモンテビデオの独立広場の中心にあるアルティガス廟に移されました。
このコインは、PCGSの鑑定済みはなく(1916年発行はあり)、NGCは28枚あります。発行枚数が非常に多く価値がさほど高くないようなので、未鑑定が大量にあるのかもしれません。私もこのコインは安値で購入しましたが、トーンが非常に良い感じでお値段の割に良いコインではないかと思っています。
今回の旅は、ここまでにしたいと思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました🙇♂️
探求の旅は、まだまだ続きます🐪🌙