コイン探求の旅 #8 『ガージャール朝 Shahi Sefid銀貨』

 コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『ガージャール朝 Shahi Sefid銀貨』です。

発行国  ガージャール朝(イラン)
材質  シルバー
品位  0.9
発行年  1885~1886年ヒジュラ歴1303年)
発行枚数  ?
鑑定会社  未鑑定
グレード  G~VG相当
サイズ

 表面には、「アルスルタン ナーセロッディーン シャー ガージャール テヘラン」の文字が刻まれています。裏面には、剣を持ったライオンと太陽の図柄が描かれています。またライオンの下の文字は擦れて一部読めませんが、ヒジュラ暦の年号が書かれていると思われます。

 

 このコインは、ガージャール朝(イラン)のナーセロッディーン・シャーの時代に発行されたコインです。ナーセロッディーンは、ガージャール朝の第4代シャーで、その在位期間は1848年9月17日から1896年5月1日のおよそ48年間でした。1848年に父であり第3代シャーのモハマンドが痛風で亡くなったため、17歳という若さで第4代シャーに即位しました。

ナーセロッディーン・シャー - Wikipedia

 ナーセロッディーン・シャーの治世時には、徐々にイギリスとロシアによる半植民地化が進みつつありました。彼は、イギリスが支配するペルシャ東部の回復をもくろみ、1856~1857年にイギリス・ペルシャ戦争が発生しましたが、イギリス側の勝利で終わりました。その結果、商業的特権や治外法権を承認し、関税自主権を放棄することとなりました。

 ナーセロッディーン・シャーは日本とも関りがあり、イラン国王として初めて日本人と接触しました。1878年にヨーロッパ旅行からの帰途で当時駐露公使だった榎本武揚らとロシアで面会しました。そこで条約締結に向けた使節の派遣で合意し、日本から吉田正春率いる使節団が派遣されました。しかし日本との条約関係が成立したのはナーセロッディーン・シャーの死から30年後のこととなります。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000080362.pdf

 当時のイラン国内の産業は、ヨーロッパから輸入される廉価な織物により手工業者の生活が大きな打撃を受けました。また綿花、ナッツ、果物、アヘンに対する需要の高まりに伴い大土地所有制が進展し、農民の生活も大きな打撃を受けました。さらに近代化の推進により、土地の収穫税が2倍に跳ね上がったことも追い討ちを掛けました。こうして、国内の産業は衰退していきました。

 ナーセロッディーン・シャーは、1896年5月1日に祈祷のため訪れたテヘランの近郊レイのシャー・アブドルアズィーム廟で、ミールザー・レザー・ケルマーニーによるリボルバーの銃撃で暗殺されました。死の直前に「生き延びたならば、違ったように統治するであろう!」という言葉を残したと伝えられています。レザー・ケルマーニーは国外逃亡を図りますが、オスマン帝国政府により逮捕され、その後イランに引き渡され1896年8月10日にテヘランで処刑されました。

 ナーセロッディーン・シャーは、シャー・アブドルアズィーム廟墓地に埋葬されました。一体成形による大理石の墓石は、ナーセロッディーン・シャーを型取っており、現在はテヘランのゴレスターン宮殿博物館に所蔵され、ガージャール朝期彫刻の傑作として有名です。

ゴレスターン宮殿(Kakh-e Golestan)ーⅡ Khalvat-e-Karim Khani : テヘランライフ

 

 このコインの鑑定枚数はよくわからず、PCGS、NGC共に同年代のコインを見つけることができませんでした。出品されていた方からはヒジュラ暦1303年と伺っていたのですが、コインの発行年の箇所が擦れて私には読み取れなかったので、誤りの可能性もあるかと思います。このコインの発行枚数は定かではありませんが、私のコインのようにG~VG相当のコインであれば比較的容易に見つけることができますので、かなりの数が発行されていると思われます。

 

 今回の旅は、ここまでにしたいと思います。

 最後までご覧いただき、ありがとうございました🙇‍♂️

 探求の旅は、まだまだ続きます🐪🌙