コイン探求の旅 #12 『マイソール王国 1Kasu銅貨』

 コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『マイソール王国 1Kasu銅貨』です。

発行国  マイソール王国(インド)
材質  カッパー
品位  ?
発行年  1731~1761年
発行枚数  ?
鑑定会社  未鑑定
グレード  AG相当
サイズ

 このコインは、表面には象と、その上に太陽と月が描かれています。裏面には二本の交差する線の間に丸が描かれていますが、これが何を意味するのかについては分かりませんでした。

 太陽と月を拡大してみました。左側の丸が太陽、隣が月ですね。あまり拡大した意味無かったかな(^^;

 マイソール王国は、最盛期には南インドの広大な地域を支配した王国でした。マイソール王国の前身であるオデヤ家は、14世紀末頃から当時南インドの広域を支配していたヴィジャヤナガル王国の臣下として存在しました。ヴィジャヤナガル王国の衰退に伴い、1610年に独立を宣言しましたが、北インドムガール帝国の拡大に伴い、次第にその勢力下におかれることとなりました。

マイソール王国 - Wikipedia

 このコインが発行された1731~1761年は、マイソール王国の黎明期と言われる時期で、オデヤ朝のクリシュナ・ラージャ1世(在位:1714年~1732年)、チャーマ・ラージャ7世(在位:1732年~1734年)、クリシュナ・ラージャ2世(在位:1734年~1766年)の3代に渡り統治されていた時期に当たります。

 クリシュナ・ラージャ1世が1732年に死去すると、チャーマ・ラージャ7世が跡を継ぎますが、およそ2年後に軍司令官らにより廃位幽閉されます。その跡を継いだクリシュナ・ラージャ2世の治世では、度々目覚ましい戦功を挙げた軍司令官のハイダル・アリーが徐々に実権を握るようになり、1759年にはほぼ全権を掌握することとなりました。ハイダル・アリーの治世において、マイソール王国は最盛期を迎えました。

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 ハイダル・アリーはやがてスルターンを名乗るようになり、ムガール帝国のシャー・アラーム2世から認可を受けますが、マイソールの旧王家を滅亡に追いやったわけではなく、二人の君主が並び立つような状況となりました。ハイダル・アリーの死後、父にも劣らない有能な戦士であり「マイソールの虎」と呼ばれていた息子のティプー・スルターンが跡を継ぎました。1799年にティプー・スルターンが死去しオデヤ朝に実権が戻ることになりますが、この頃のマイソール王国はイギリス東インドとの度重なる戦いに敗れて多くの領土を失うという状況となっており、やがてイギリスに従属して藩王国化されることとなりました。

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 このコインの鑑定枚数は、PCGSでは見つけることができませんでした。NGCではAU53が1枚だけ存在するようです。状態が良いコインがほとんど無く、未鑑定のものが大量にあるのかもしれませんね。フリマサイトで探せば、割と簡単に見つけることができますので、希少性はあまりないと思います。

 

 今回の旅は、ここまでにしたいと思います。

 最後までご覧いただき、ありがとうございました🙇‍♂️

 探求の旅は、まだまだ続きます🐪🌙