コイン探求の旅 #15 『ムワッヒド朝 方形ディルハム銀貨』

 コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『ムワッヒド朝 方形ディルハム銀貨』です。

発行国  ムワッヒド朝北アフリカイベリア半島南部)
材質  シルバー
品位  ?
発行年  1121~1269年
発行枚数  ?
鑑定会社  未鑑定
グレード  PO~FR相当
サイズ

 このコインは、表面・裏面共にアラビア文字が刻まれているように見えますが、実際のアラビア文字ではなくデフォルメされた文字らしく、「模造品」ということになるようです。このコインは、1121~1269年にアラゴン王国で作られたものではないかと考えられています。模造品が作られた理由は、イベリア半島でとても人気が高いコインで、入手するのが難しかったことによるそうです。実際のところははよく分かりませんが、形、サイズ、重さがなんとなく同じであれば問題なかったんでしょうかね。この時代のハンマー打ちだと一定の品質を保つのは難しいでしょうし・・・現代ではありえない話ですね(^^;

 ムワッヒド朝はモロッコベルベル人が建てた王朝で、1130~1269年に北アフリカイベリア半島南部を支配しました。

ムワッヒド朝 - Wikipedia

 ムワッヒド朝は、1121年にムラービト朝に対して反乱を起こしたイブン=トゥーマルトの弟子であったアブド=アルムーミンが、モロッコを拠点として興しました。ムラービト朝を滅亡に追い込むと北アフリカを東に進み、アルジェリアのハンマード朝、チュニジアズィール朝を次々に滅ぼしていきました。続いてイベリア半島に上陸してキリスト教徒に対する攻撃を開始し、イベリア半島南部を制圧しました。イベリア半島のセビーリャは副都とされ、大規模なモスクが建設されるなどイスラム文化が広まりました。

 イスラム勢力の勃興に危機感を抱いたローマ教皇インノケンティウス3世は、十字軍の宣旨を発し、ヨーロッパ各地から軍を招集しました。1212年にコルドバ北方のナバス・デ・トロサで両軍は激突、十字軍が勝利を収めました。

ja.wikipedia.org

 この敗戦はムワッヒド朝にとって壊滅的なダメージとなり、これを契機にムワッヒド朝は急激に衰退していきました。イベリア半島を放棄してモロッコに撤退しますが、各地で反ムワッヒド朝勢力が次々に独立して領土を縮小していきました。最後のカリフとなったイドリース・ワーシクは、1269年にマリーン朝との戦いのさなかで戦死、ムワッヒド朝は滅亡しました。

 

 このコインの鑑定枚数ですが、PCGSでは見当たらず、NGCでは2枚あり Top PopはMS63となっています。私が所有しているような状態がさほど良くないコインは、フリマサイトで比較的容易に見つけることができます。

 ちなみに、このコインのオリジナルはどのコインなのか気になったので探してみました。正しいかどうか分かりませんが、おそらく以下のコインではないかと思います(間違っていたらすいません)。

https://en.numista.com/catalogue/pieces165821.html

 上記のコインは、ムワッヒド朝建国よりおよそ80年前に発行されたコインになります。これなら、アラビア文字を理解していない人であればオリジナルと見分けがつかないですよね。

 最後にこんなことを書くのもなんですが、実は私のコインはサイズだけ見るとオリジナルの方に合致するんですよね。出品者さん情報で「模造品」としましたが、実は違うんじゃないかと思ったり・・・多分鑑定には出さないと思うので、真相は永久に闇の中です(^^;

 

 今回の旅は、ここまでにしたいと思います。

 最後までご覧いただき、ありがとうございました🙇‍♂️

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コイン探求の旅 #14 『パーダーボルン司教領 2/3ターラー銀貨』

 コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『パーダーボルン司教領 2/3ターラー銀貨』です。

発行国  パーダーボルン司教領(ドイツ)
材質  シルバー
品位  ?
発行年  1786年
発行枚数  ?
鑑定会社  NGC
グレード  MS64+
サイズ

 このコインは、表面には中央に小さなヴェストファーレンの楯、その背後に周囲を王冠と花輪で飾られたスペインの楯が描かれており、裏面には右手に大杖を持ち雲の上に座る聖リボリウスの像が描かれています。

 バーダーボルンは、現在のドイツ西部のノルトライン=ヴェストファーレン州デトモルト行政管区のパーダーボルン郡に属する市で、聖リボリウスはバーダーボルンの守護聖人とされています。

 司教領とは、君主の資格を有する司教が支配する領域を指します。このコインが発行された1786年の司教領主は、ヴィルヘルム・アントン・フォン・デア・アッセブルクでした。バーダーボルン司教領は、1803年にプロイセン領に組み込まれました。

Prince-Bishopric of Paderborn - Wikipedia

 聖リボリウスはル・マンの第2代司教で、およそ49年間司教を務めました。彼の生涯についてはほとんど知られていませんが、96回の叙階式で217人の司祭と186人の助祭を叙階したと言われています。

聖リボリウスとカルロ・ボロメオとの聖母子(右はコインの聖リボリウス)

 リボリウスの生年は不明(348年頃?)、397年7月23日に死去しました。彼は、友人であるトゥールの聖マルティンの腕の中で亡くなったため、良い死をもたらす守護神とされています。また、1267年にリボリウスの祠に巡礼に来たヴェルナー・フォン・エップシュタイン大司教の胆石が治癒したことから、それ以降疝痛、発熱、胆石の治癒を祈願されるようになりました。リボリウスの像が持つ聖書には3つの石が置かれていますが、これは胆石治癒に由来しています。

Liborius of Le Mans - Wikipedia


 このコインは、NGCの鑑定枚数が4枚でMS64+はTop Popとなります。PCGSでは見つけることができませんでした。発行枚数は不明ですが、コインショップやフリマサイトなどでほとんど見かけませんので、特に状態が良いコインは希少性が高いのではないかと思います。

 

 今回の旅は、ここまでにしたいと思います。

 最後までご覧いただき、ありがとうございました🙇‍♂️

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コイン探求の旅 #13 『マイソール藩王国 20キャッシュ銅貨』

 コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『マイソール藩王国 20キャッシュ銅貨』です。

発行国  マイソール藩王国(インド)
材質  カッパー
品位  ?
発行年  1833~1838年
発行枚数  ?
鑑定会社  未鑑定
グレード  AG相当
サイズ

 #12でマイソール王国のコインをご紹介しましたが、今回は藩王国化された後で発行されたコインとなります。

rangalhu-coin.hatenablog.jp

 藩王国については、以下にまとめましたので参照して下さい。

rangalhu-coin.hatenablog.jp

 このコインは、表面には神話に登場するサルドゥラというライオンが描かれており、裏面には中央にカナラ語でクリシュナ、それを取り囲むように額面(下から時計回りにXX CASH)とミントネーム(右下から時計回りにMILAY?)が刻まれています。表面には、他にもライオンの周りに神話にまつわる何かしらのカナラ語が刻まれているようですが、神話を理解していない私には読み解くのが難しかったので、割愛します。

 マイソール藩王国は、インド南部に位置しています。マイソール王国の最盛期と比較すると、その領土はおよそ半分にまで減少しています。

 このコインは、オデヤ朝第23代クリシュナ・ラージャ3世の治世において発行されたコインです。クリシュナ・ラージャ3世は、マイソール・スルターン朝のティプー・スルターンの死後にオデヤ朝が復権した際、最初に君主の座に就きました。その在位期間は1799年~1868年のおよそ69年間で、長期間に渡り君主の座にありました。

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 当時の藩王国は、後継者不在であったり内政などで何らかの不手際があった場合、イギリスへの併合や自治権のはく奪といった処分を受けていました。1831年にマイソール藩王国内で発生した農民反乱は、マイソール藩王国の失政であるとして内政権をはく奪する口実を与えることとなってしまいました。それ以降、マイソール藩王国はイギリスの管理下に置かれ、1868年にクリシュナ・ラージャ3世が亡くなりチャーマ・ラージャ10世が跡を継いだ後も変わることはありませんでした。

 マイソール藩王国は、クリシュナ・ラージャ3世の3代後のチャーマ・ラージャ11世の代で、イギリス領インド帝国の解体およびインド・パキスタン分離独立の際にインドへ帰属することとなり、約500年間存続し続けたマイソール王国は消滅することとなりました。

 

 このコインの鑑定枚数は今一つよく分かりませんでしたが、PCGSでは1枚でTop PopはVFであると思われます。NGCでは見つけることができませんでした。おそらく状態の良くない未鑑定のコインが大量に存在しているのではないかと思います。

 

 今回の旅は、ここまでにしたいと思います。

 最後までご覧いただき、ありがとうございました🙇‍♂️

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コイン探求の旅 #12 『マイソール王国 1Kasu銅貨』

 コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『マイソール王国 1Kasu銅貨』です。

発行国  マイソール王国(インド)
材質  カッパー
品位  ?
発行年  1731~1761年
発行枚数  ?
鑑定会社  未鑑定
グレード  AG相当
サイズ

 このコインは、表面には象と、その上に太陽と月が描かれています。裏面には二本の交差する線の間に丸が描かれていますが、これが何を意味するのかについては分かりませんでした。

 太陽と月を拡大してみました。左側の丸が太陽、隣が月ですね。あまり拡大した意味無かったかな(^^;

 マイソール王国は、最盛期には南インドの広大な地域を支配した王国でした。マイソール王国の前身であるオデヤ家は、14世紀末頃から当時南インドの広域を支配していたヴィジャヤナガル王国の臣下として存在しました。ヴィジャヤナガル王国の衰退に伴い、1610年に独立を宣言しましたが、北インドムガール帝国の拡大に伴い、次第にその勢力下におかれることとなりました。

マイソール王国 - Wikipedia

 このコインが発行された1731~1761年は、マイソール王国の黎明期と言われる時期で、オデヤ朝のクリシュナ・ラージャ1世(在位:1714年~1732年)、チャーマ・ラージャ7世(在位:1732年~1734年)、クリシュナ・ラージャ2世(在位:1734年~1766年)の3代に渡り統治されていた時期に当たります。

 クリシュナ・ラージャ1世が1732年に死去すると、チャーマ・ラージャ7世が跡を継ぎますが、およそ2年後に軍司令官らにより廃位幽閉されます。その跡を継いだクリシュナ・ラージャ2世の治世では、度々目覚ましい戦功を挙げた軍司令官のハイダル・アリーが徐々に実権を握るようになり、1759年にはほぼ全権を掌握することとなりました。ハイダル・アリーの治世において、マイソール王国は最盛期を迎えました。

ja.wikipedia.org

 ハイダル・アリーはやがてスルターンを名乗るようになり、ムガール帝国のシャー・アラーム2世から認可を受けますが、マイソールの旧王家を滅亡に追いやったわけではなく、二人の君主が並び立つような状況となりました。ハイダル・アリーの死後、父にも劣らない有能な戦士であり「マイソールの虎」と呼ばれていた息子のティプー・スルターンが跡を継ぎました。1799年にティプー・スルターンが死去しオデヤ朝に実権が戻ることになりますが、この頃のマイソール王国はイギリス東インドとの度重なる戦いに敗れて多くの領土を失うという状況となっており、やがてイギリスに従属して藩王国化されることとなりました。

ja.wikipedia.org

 

 このコインの鑑定枚数は、PCGSでは見つけることができませんでした。NGCではAU53が1枚だけ存在するようです。状態が良いコインがほとんど無く、未鑑定のものが大量にあるのかもしれませんね。フリマサイトで探せば、割と簡単に見つけることができますので、希少性はあまりないと思います。

 

 今回の旅は、ここまでにしたいと思います。

 最後までご覧いただき、ありがとうございました🙇‍♂️

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コイン探求の旅 #11 『バラトプル藩王国 1ルピー銀貨』

 コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『バラトプル藩王国 1ルピー銀貨』です。

 予告通り、今回から私の大好きなマイナーなコインたちの紹介になります(^^;

発行国  バラトプル藩王国(インド)
材質  シルバー
品位  ?
発行年  1858年
発行枚数  ?
鑑定会社  NGC
グレード  AU58+
サイズ

 このコインは、表面にはヴィクトリア女王の肖像が描かれています。裏面には、中央部分の左端に刃が上向きのカタール、ヴィクラマ暦1910年(西暦1858年)の年号が刻まれています。カタールとは、インド地方で使われていた短剣のことを指します。

ja.wikipedia.org

 ヴィクトリア女王については、別のコインで解説する機会があると思いますので、ここではバラトプル藩王国について簡単に解説します。なお、藩王国については【補足】ページを作りましたので、そちらを参照して下さい。

rangalhu-coin.hatenablog.jp

 バラトプル藩王国は、インド北部で現在のニューデリーのほぼ南に存在した国です。

バラトプル王国 - Wikipedia

 バラトプル藩王国の前身はバラトプル王国で、衰退しつつあったムガール帝国から1722年に分離独立して誕生しました。1803~1805年に発生した第二次マラーター戦争で、イギリス東インド会社と対立する勢力側に与したため、首都バラトプルはイギリス軍に包囲され危機的な状況に陥りましたが、この時はバラトプル王国の必死の抵抗により首都が陥落することはありませんでした。しかし、同年にイギリスと軍事保護条約を締結、イギリスに従属する形となり藩王国となりました。

ja.wikipedia.org

 このコインの発行年である1858年にマハラジャであった人物については、はっきりと分かりませんでしたが、おそらくジャスワント・シンであったと思われます。残念ながら、ジャスワント・シンに関しては写真のみで、それ以外の詳細な情報を見つけることはできませんでした。

バーラトプルのマハラジャジャシュワントシン、1870年代頃

 

 このコインは、NGC鑑定でAU58+となっています。VF以上の鑑定枚数は全部で16枚あり、Top PopはMS63となっています。PCGSは全部で6枚、Top PopはMS62となっています。

 それにしても、ヴィクトリア女王の肖像が雑・・・じゃなくて、味がありますよね(^^; この辺りは、鋳造技術が未熟だったり設備が整っていないといった理由によるものなんでしょうね。いずれご紹介する機会がやってくると思いますが、藩王国のコインの中にはもっと凄いものもありますので、お楽しみに(笑)

 

 今回の旅は、ここまでにしたいと思います。

 最後までご覧いただき、ありがとうございました🙇‍♂️

 探求の旅は、まだまだ続きます🐪🌙

 

コイン探求の旅【補足】インド藩王国とは?

 私がコインを収集するにあたり、特に重視するのは見た目の良さで、さらに希少性があればなお良い、といった感じで選別しているのですが、それ以外にも一応一つのテーマがあります。それは『インド藩王国』のコインです。

 現在、私が所有しているコインを『コイン探求の旅』というタイトルでご紹介していますが、今後インド藩王国のコインについて書く機会がとても多くなると思います。そもそも藩王国って何?というお話から都度書いていくと非常に長くなってしまいますので、補足ページを作っておくことにしました。

 

 藩王国土侯国とも言います)とは、イギリスなどのヨーロッパ諸国による植民地化が進んでいた時期に、東インド会社の直轄領とならずに旧来の支配者が一定の自治権を認められた地域のことを指します。日本の江戸時代における藩とほぼ同等と考えて頂ければよいかと思います。

藩王国 - Wikipedia

 やや見づらいですが、上記地図のピンク色の部分はイギリスによる直接統治が行われた地域で、黄色い箇所が藩王国または保護国です。ちなみに保護国は、藩王国と違い外交、財政、軍事といった権利を持っておらず、ほとんど植民地といってもいい状態の国を指します。

 藩王国は、現在のインド、パキスタンバングラディシュ、ミャンマーに565ヵ国存在しました。主な藩王国を以下に示します(Wikipediaからの抜粋に若干加筆修正しています)。

現・インド

現・パキスタン

現・ミャンマービルマ

その他

  • ジャンムー・カシュミール藩王国

 

 藩王国は、一部の国で後継者不在によりイギリスに併合されるケースがありましたが、第二次世界大戦終戦まで存続した国もありました。そういった藩王国は、終戦後の1947年にイギリス領インド帝国が解体され、インドとパキスタンの分離独立の際に消滅しました。この時、藩王国はどちらの国に帰属するのか、それとも独自の道を歩むのか、という厳しい選択を迫られました。それがきっかけとなり各地で紛争が発生し、例えばカシミール地方(旧カシミール藩王国)は現在もインド・パキスタン間の係争地域となっています。

カシミール紛争 - Wikipedia

 藩王国については『印度藩王国 Classics&Academia』という専門書が出版されています。私はKindle版を購入してみました。1ページの文字数は少ないのですが、総頁数6,704頁という超大作、しかも挿絵や写真などは序盤の数ページしかありません(^^; それでも、藩王国を詳しく知るにはうってつけの書籍ではないかと思います。

dps-ec.com

 ちなみに、インド映画で2022年に日本でも公開されて大ヒットした『RRR』は、イギリス領インド帝国が物語の舞台となっています。

RRR : 作品情報 - 映画.com

www.youtube.com

 迫力満点で非常に面白い映画です。未見の方は是非!

 

コイン探求の旅 #10 『イギリス 1/2ペニー 銅貨 試作貨』

 コイン探求の旅、今回ご紹介するコインは『イギリス 1/2ペニー 銅貨 試作貨』です。

 我々日本人からするとマイナーな地域のコインが続いたので、今回は本場イギリスをチョイスしてみました。でも、私が圧倒的に好きなのはマイナーな方なんですよね・・・来週からまたマイナーな方に戻るかもしれません(^^;

発行国  イギリス
材質  カッパー
品位  ?
発行年  1799年
発行枚数  ?
鑑定会社  NGC
グレード  PF65BN
サイズ

 コインの表面には、発行年である1799年に王位に就いていたジョージ3世ではなく、プリンス・オブ・ウェールズ(後のジョージ4世)の肖像が描かれています。

ジョージ4世 (イギリス王) - Wikipedia

 ジョージ4世が即位したのは57歳の時で、その在位期間はさほど長くなく、1820年1月29日~1830年6月26日のおよそ10年間でした。即位時にはかなりの肥満体で体重が120キロほどあり、若いころの不摂生が祟ってさまざまな病を患い、痛み止めで服用したアヘンチンキの中毒となっていた可能性があるようです。

 ジョージ4世の一般的な評価は、お世辞にも良いとは言えません。王室のゴシップ好きなマスコミが煽ったこともあるとは思いますが、この評価は概ね間違っていないのかな、と思います。ジョージ4世については、アンティークコインギャラリアさんがとても分かりやすくまとめていますので、是非そちらをご覧ください。悪名高い王でも彼なりに多少の功績は残していますので、その点は注目して欲しい所です。

antique-coin-galleria.com

 このコインは、最初の英領インド司令官となった人物であり、また大のコイン愛好家でもあったウィリアム・フラートン大佐のために、J.ミルトンが少数作った試作貨です。フラートン大佐のコレクション、とても気になりますよね。一応調べては見たのですが、残念ながら彼のコレクションに関する情報は見つけられませんでした。 

 このコインは、NGC鑑定でPF65BN、Top Popとなります。写真だと伝わりにくいのですが、特に表面の肖像の輪郭全般にうっすらと青いトーンがかかっており、非常に美しいコインです。PCGSでは見つけることができませんでした。なお、オークションワールドで過去に同じデザインの銀貨が出品されていたことがあり、PCGSでPR66の評価となっていました。ただしこちらはオリジナルではなく、マシュー・ヤングという人物がこのオリジナルのコインを基に1820~40年ぐらいに銀で製作したものと考えられているそうです。

オークション,NGC-PF64 GREAT BRITAIN George III ジョージ3世(1760~1820) Private Pattern 6Pence 1799 トーン Proof UNC+

 

 今回の旅は、ここまでにしたいと思います。

 最後までご覧いただき、ありがとうございました🙇‍♂️

 探求の旅は、まだまだ続きます🐪🌙